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カチ、カチ、カチ、カチ 時計の針は無表情に、そして物悲しさをも引き連れて時を刻む。 まもなく大きな鐘の音と共に1日の終わりを告げるはずだ。 だがすでに舞台上では鐘は鳴り響き終えていた。 太正14年度、帝劇最後の舞台『奇跡の鐘』。 その舞台は静寂とそれ以上の熱気の渦によって成功を収めていた。 大神が自ら配役を選び、演出までもした舞台。 花組、そして大帝国劇場の人々と想い、悩み、それらが昇華した結果産まれた舞台なのである。 今は全てが終わり、夢の名残を残すのみとなっていた。 すでに劇場員による打ち上げも半ばへとさしかかっていた。 「ふぅ……。」 彼女、高村椿はその打ち上げの場から席を外していた。 頬はほんのりと朱に染まっている。 未成年である彼女がアルコールによってそうなっているわけがない。 打ち上げの熱気、そして舞台がはねた後の高揚感が彼女の頬を朱に染めていた。 彼女はテラスへと足を運び、冬の肌を切るような寒気に身を晒していた。 月光に照らされながら深々と降り続ける雪が火照った体には心地よい。 その心地よさに身を委ねながらスゥっと息を吸い込もうとしたときの事だった。 帝劇前の歩道に街灯に照らされた大神の姿が見えた。 「あっ!大神さ……ん……。」 椿から見えたのは大神の姿だけではなかった。 もう一人、『奇跡の鐘』のヒロインを演じた彼女が傍らにはいた。 それは予感できていた光景。 椿はじっと黙って、大神らがどこかへ歩いていくのを見ている事しかできなかった。 頬をつたう涙と共に。 SS『贖罪の花』 スゥー。 障子を閉める木磨れの音が静かに響く。 真っ暗な部屋で椿は布団に倒れ込んだ。 既に母親が自分の帰りが遅くなる事を見越して布団をひいていてくれたのであろう。 涙が止まらなかった。 例えそれが決して叶う事のない恋であると知っていたとしても。 その予感が決定的に思えたのは『奇跡の鐘』の舞台稽古のとき。 大神さんが彼女に二人きりで稽古をつけていたときの二人の表情を見て。 でも、せめて、自分の想いだけは伝えよう。 枕にうつ伏せになっていた顔をゆっくりと上げる。 すると涙で未だ歪む視界の中に淡く色づいた一輪の花が見えた。 それはこの和風の部屋には似つかわしくない淡紅色のシクラメン。 椿は立ち上がり、古びた木の机の上に置いてあった鉢植えのシクラメンの花びらをそっと撫でた。 優しい大神の事だ。 きっと自分の告白に思い、悩むであろう。 でも例えダメだと分かっていたとしても自分の気持ちには嘘はつきたくなかった。 そう、このシクラメンの鉢植えを持っていこう。 このシクラメンは大神さんを苦しめてしまうあたしができるせめてもの贖罪なのだから……。 ………………………………………………………………………………………………、 それは『奇跡の鐘』の本公演が迫り来るある日の事であった。 椿と大神は二人で街灯で煌びやかに照らされた夜の銀座を歩いていた。 椿は仕事を手伝ってくれたお礼と称して大神を半ば強引に食事に誘ったのだ。 今はその食事に行った煉瓦亭からの帰り道であった。 辺りの店もゆるゆるとだが店じまいを始めている時間だ。 「煉瓦亭の料理、ホントに美味しかったですね。」 「ああ、そうだね……。」 大神は生返事を返した。 どうやらまだ悩んでいるらしい。 それは今度の公演の主役決めの件だ。 今回の主役決めはかえでが大神に一任したらしい。 その事について大神は思い悩んでいたのであった。 半ば強引に食事に誘ったのも椿の仕事を手伝ってくれているときの大神の表情が冴えなかったのが起因の一つであった。 椿は思う。 悩んでいるという事は既に結論を出してしまっている表れなのだと。 だが誰かを選ぶという事は誰かを外さざるをえないという事になる。 それが大神を悩ませている原因だった。 「さっきも言いましたけど自分の好きな人を選べばいいんですよ……、ねっ。」 自分自身にとってそれは残酷な言葉だと思う。 大神に選ばれる立場にある花組が羨ましかった。 自分はその立場にさえ立つ事が出来ないのに……。 「うん、ありがとう。椿ちゃん。」 大神は椿の気持ちを知ってか知らずか微笑みと共に返事を返した。 冷たい風が頬を撫でる。 大神と共に歩く大帝国劇場までの道程は椿にとってかけがいのない時間でもあり、そしてまた自分の想いに胸が痛む時間でもあるのだ。 もうまもなく大帝国劇場に着こうというときだった。 劇場の近所にある百貨店の裏手で何かの商品を積み込みをしている光景を見かけた。 商品とは言っても段ボール詰めではなく、何か台形円錐状の物体である。 「……大神さん。あれ、何でしょうかね?」 椿はそれに興味を持ったらしく大神に尋ねてみた。 椿より恐らく目が良いであろう大神ではあるが何せ暗がりのためハッキリとは見えなかった。 「ちょっと行って見てみようか?」 椿と大神は搬入作業をしている裏手口に近寄ってみた。 作業をしている店員の手に持たれていたのは鉢植えの花であった。 花は淡紅色でまだ咲いてはいなく蕾の状態であった。 花弁はしっとりと滴をたたえて見るからに生命力が溢れていた。 「……あの〜、すいません。これは何の花なんでしょうか?」 蕾を見ただけでは何の花かは分からなかった。 椿は好奇心を抑えきれず作業中の店員に尋ねてみる。 「えっ?あ、これはシクラメンですよ。」 従業員は嫌な顔一つも見せず椿の問いに答えた。 椿の顔は銀座界隈では有名である。 何せあの大帝国劇場の売り子なのだから。 銀座は三越か大帝国劇場かと言われるぐらいだ。 近所の百貨店の店員が椿の顔を見たこと無いわけがなかった。 「今は歳暮の時期でしょう。歳暮に送る花としてシクラメンはよく出ているんですよ。」 百貨店の店員の言葉が少し腑に落ちなかった椿は疑問の表情を浮かべる。 「でも、何でお歳暮にシクラメンなんですかね?大神さん。」 「う〜ん……。どうしてだろう……。」 江田島を主席で卒業した大神でも流石に花や歳暮の知識まではないらしい。 その椿の疑問に対し、店員は答えてくれたのであった。 「歳暮とか中元とは贈り物をする習慣は道教の贖罪の教えから来ているみたいですね。シクラメン自体も『聖母に捧げる花』とか『修道女の花』とか、とにかく神様に捧げる神聖な印象の花みたいです。その神聖な印象が贖罪として相手に送る歳暮に合わさったみたいですよ。」 「へ〜。そうなんですか……。」 「多分、明冶太正に入ってからの和洋折衷の考えなんだろうね。」 大神は納得がいったようにそう言った。 「シクラメンは贖罪の花なんだね……。」 贖罪の花。 白い肌の美女がほんのりと頬を朱に染めているような印象の花にどこか悲しさを感じてしまう。 椿はふとそんな風に鉢植えのシクラメンを見ていた。 「こらっ!仕事サボってないで手を動かせ!手を!」 「はっ!はいっ!すいませんっ!」 奥から大きな怒鳴り声が轟いてくると店員は慌てて仕事を再開するのであった。 どうやらこの搬入作業の主任らしい父親ぐらいの禿頭の男性であった。 「おっ、帝劇の椿ちゃんじゃねぇか。モギリのにーちゃんと逢い引きかい?若いってのは羨ましいねぇ!」 「そ、そんなんじゃないんですってば……。」 声の最後の方は消え入るほどに小さかった。 どうやらこの男も帝劇にはよく出入りしているらしい。だから銀座は狭い。 「おお、そうだ!椿ちゃん、シクラメン持っていくかい?」 「えっ!で、でも……!」 「いいって事よ!こんなにあるんだから一つぐらい無くなったって分かりゃしねぇって!」 そう言うと半ば強引に鉢植えを椿に手渡す。 店としてはたまったものではないのだろうかこういうざっくばらんさが江戸生まれの人間なのかもしれない。 もちろん、あとでこの禿頭の男が金を払っておくのであろうが。 「いいじゃないか、貰っておきなよ。」 「……はい。ありがとうございました。」 そう言うと笑みを浮かべてペコリと頭を下げるのであった。 「本当にいいのかい?送って行かなくても……。」 「はいっ!今日は付き合って頂いてありがとうございました。」 大帝国劇場の職員用玄関。 心からの言葉と心のどこかで偽っている言葉を綯い交ぜにして椿は言った。 「御礼を言うのはこっちだよ。椿ちゃんに話したお陰で楽になったよ。」 大神が男臭い笑みを浮かべる。 今の椿には胸に痛い笑みだ。 恐らく大神さんはあの人を選ぶのであろう。 椿には分かっていた。 戦場では背中を任せ、そして劇場では大神の出来る最高の笑みを見せていたあの人なのだろうと。 「そんなことないですよ。私だって煉瓦亭の美味しいご飯を大神さんと食べることが出来たんですから……。」 また嘘をついた。 キュンと胸が痛む。 今日、大神を食事に誘った理由はもう一つあった。 大神から本当の想いを聞きたかったのである。 だが言葉に出さずとも既に分かっていたのだ。 でも確かめずにはいられなかった。 一縷の希望。だが所詮それはひとすじの細い糸でしかなかったのだ。 「そ、それじゃ、これで失礼します!おやすみなさい!」 「あっ、椿ちゃん?!」 居たたまれなくなって逃げ出してしまった。 大神の姿が見えなくなるまで走った。 どこまでもどこまでも……。 立ち止まったとき、そこは既に実家の前であった。 どれぐらいの時間走ったのか記憶にない。 銀座から浅草まで凡そ1〜2里。 普段走り込みもしていない椿の肺臓は悲鳴を上げていた。 やけに手に持っていたシクラメンの鉢植えが重かった。 「ふう……。だめだな……あたし……。」 家に入るなり呼びかけてきた母親の声をも無視して椿は自分の部屋に入った。 シクラメンの鉢植えを古びた机の上に置く。 まだ堅く花弁を閉ざしたシクラメン。 咲くまでには暫くの時を要するであろう。 シクラメンは贖罪の花。 大神は許してくれるだろうか? 想いを伝えるという重罪を。 既に大神の心は分かっている。分かっていた。分かっていたはずだ。 それなのに自分の想いを伝えると言うことは大神の心に重石をかけてしまうことになる。 それでもあたしの独り善がりな我が儘を許してくれるのだろうか? でも。 それでも伝えずにはいられないだろう。 今まで自分の心についてきた嘘。 せめて最後だけは心に正直にいきたい。 それが例え大神の負担となってしまったとしても……。 まだつぼみのシクラメン。 今は淡紅色だが花が咲く頃には真っ赤になっているだろう。 大神さんに対するせめてもの贖罪。 この花が……咲く頃に……。 ………………………………………………………………………………………………、 シクラメンの花は咲いても淡紅色のままだった。 結局はあのときとまったく変わりのしない大神の想いを知るだけだった。 ……でも花弁の色が変わらなかったのも何かの暗示かもしれない。 蕾は花へと変わった。 椿はもう一度花弁をそっと撫でた……。 明けて12月25日夜。 その日は椿が生まれて19回目の年月の交わる日。 大神は椿に呼び出され付近の教会へと来ていた。 ここは奇しくも昨夜、大神と彼女が想いを伝え合った場所。 キラキラと輝くクリスマスオーナメントが目に眩しい。 大神はその眩しさに目をツリーから街道の方へと向ける。 するとその方角からギュッギュッと雪を踏みしめる音が聞こえた。 椿だ。 大神は椿に近付いていった。 いつもの法被姿ではなく、いつか煉瓦亭に一緒に行ったときの洋服だ。 手には一鉢のシクラメンの鉢植え。 雪にとけ込むばかりの淡紅色が印象的だった。 「椿ちゃ……ん……?」 椿が街灯に照らされて初めて気がついた。 寒さで真っ赤になった頬をつたう涙のことを。 椿はそのときできる最高の笑顔を浮かべていた。 「ごめんなさい、大神さん……。でも……大好きです……。」 椿が手にしていた淡紅色のシクラメン。 花弁をつたう雪の涙。 淡紅色のシクラメンの花言葉。 『切ない恋を受け止めてくださいますか』 それは僅かながらも残していた想い。 そして教会の鐘は鳴り響く……。 <<了>> |
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