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太正15年のクリスマス。
イブの夜はは昨年同様、帝劇クリスマス公演『奇跡の鐘』が上演されていた。
賑やかだった公演中のロビーとうってかわって今は静寂がその場を支配している。
お祭りあけというものは概してそういうものであろう。
まるで一夜の夢も醒め、帝劇にはその名残のみが物悲しさという形となってロビーに漂っているのであった。
そして同様に大変な賑わいをみせていた売店も公演前の元の姿に戻ろうとしていた……。



SS「内なる香り」



あたしは昨日の公演の名残が残っている売店の後片付けをしていました。
お客様とのやりとりの一つ一つがまだ売店には残っているように感じられます。

「……ふう。」

あたしは商品を運んでいた手を休めて辺りを見回しました。
まだロビーには昨日の公演のために飾られた花飾りがそのままの形で残っています。
昨日のお芝居は昨年と同じように本当に素敵なお芝居だったと思います。
でも、昨年とは決定的に違う点が一つだけあるんです。
それは……舞台演出を行ったのが大神さんではないという事だけ……。
大神さんは今年の春に欧州へと新部隊の設立のために旅立っていきました。

「………………。」

あたしが売店の棚に視線を移すと上には小さな花瓶が置かれています。
その花瓶には昨日の公演まではロビーに飾られていた雪のように真っ白な椿の花が生けられています。
白い椿、その花言葉は『申し分のない魅力』。
あたしはこの花を見ると思い出します。
この花に教えてもらった事を……そしてちょうど一年前のこの日にあたしが大神さんに教えてもらった……勇気の言葉を……。





………………………………………………………………………………………………………………、





太正14年、クリスマス。
その日も朝早くから椿は帝劇クリスマス公演の後片付けに追われていた。
本来なら昨日のうちに片づけをしていれば良かったのではないかという話ではあるが。
公演が終わった後、雪崩を打ったようにそのまま打ち上げに突入していったのでそれに参加していた椿に対しその後に後片付けもやれというのは酷な話であろう。
特別公演用の商品を棚から下ろし、箱詰めをする。
棚から下ろすといっても特別公演用の商品は殆ど完売に近かったので箱詰めするほどもなかったのだが。

「……多分大神さんが後から買いにくるだろうから、もうちょっと置いておいてもいいかな?」

大神が嬉々として売店に来る姿を想像して、クスっと微笑む椿なのであった。
小さ目の箱を持ち上げて、売店の倉庫へと運んでいく。
椿が倉庫に入ってすぐの棚の一番上に箱を置こうとしたとき、箱にぶつかってコロコロと何かが転がる音がした。
音が聞こえて数瞬たった後、何か紙の筒のようなものが落ちてきた。
椿が紙の筒を拾い、封を解いてみるとそれは……。

「『椿姫の夕』のポスター……。」

そう、それはドレスを着たすみれと青年の格好をしたマリアの写真とともに飾られた文字で大きく『椿姫の夕』と書かれたポスターであった。

「何でこのポスターだけ外に出ているんだろう……?」

椿は思わぬ出来事に首を軽く傾げるのであった。
太正12年の3〜4月公演『椿姫の夕』。
それはすみれ演じる娼婦マルグリットの悲恋の物語である。
マルグリットはいつも椿の花を持ち、好んでいたことから椿姫とあだ名されていた。
実際にはある種のアレルギー体質であるマルグリットは香りのある花を持つと咳き込んでしまうため、香りのない椿の花を好んでいたのであった。
だが果たしてマルグリットが椿の花を好んでいたのはそれだけの理由なのだろうか……?



その日の夕方の事である。
売店の片づけを終えた椿は家路につこうとしていた。
外はちらほらと昨日から降り続いている白銀の雪が今も絶える事なく舞い降り続けている。
靴を履き終えて職員玄関のドアノブに手をかけたとき、後ろから男性の声がかかった。

「お疲れ様、椿ちゃん。」
「……大神さん。」

椿の後ろにはいつもの仕事着を着た大神が立っていた。
ただ違うのは降りしきる雪に備えてなのか首にマフラーが巻かれているくらいだろうか。

「椿ちゃんは今帰るところなのかい?」
「ええ、もう売店のお片付けも終わっちゃったんで。……大神さんこそどこかにお出かけですか?」
「ああ、いつものお使いだよ。米田支配人のね。」

と言うと大神は頬をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべる。
椿は大神の表情を見やってクスクスと笑いながら、

「ということはいつものお酒屋さんに行くわけですから……途中まで一緒ですね!」

米田が良く利用している酒屋は椿の帰り道、ちょうど浅草へ向かう方向に位置している。
椿はそう言うと両手を後ろに組み、嬉しそうに微笑む。

「そうだね。それじゃあ行こうか、椿ちゃん。」
「はい!」

二人は従業員用の扉を開き、雪の舞い散る冷たい闇の中へと歩き出すのであった。



漆黒のキャンパスに白い点が彩られていく。
その白を銀座のガス灯が鮮やかに、そして煌びやかに照らしている。
その煌びやかな光に包まれ、二人は会話を弾ませながら歩いていくのであった。

「……というわけなんですよ!ほんとに由里さんったら。」
「ははは、でも由里くんらしいよ。」

他愛もない会話だがとても大切な時間。
その時間を少しでも感じていたい椿であった。
ふと思い出したように椿は新たな話題を口にする。

「そういえば今日、変な事があったんですよ。」
「……変な事ってどんな事が起きたんだい?」

椿は人差し指をあごにつけ、少し考える素振りをしながら答える。

「ええ。夕方頃の事なんですけど、売店の棚の片づけをしていたらその棚から『椿姫の夕』のポスターが落ちてきたんですよ。……確かあの公演が終わった後、まとめて箱に入れておいたはずなんですけどね?」
「……片付け忘れていたのがその棚に残っていたんじゃないのかい?椿ちゃん。」
「そうなんでしょうか……?」

椿はまだ納得のいかない感じの表情を浮かべていた。
椿の表情を知ってか知らずか大神は懐かしそうな口調で話し始めた。

「『椿姫の夕』か……。俺が帝劇に来て、始めての公演だったから強く印象に残っているよ。」
「あたしもです。前にも話したかもしれませんけど同じ『椿』のつくお芝居で、とってもよく覚えてます。」

椿も懐かしそうにそのときの公演の事を思い出していた。

「大神さん、確か椿姫ってすみれくんが演じたマルグリットが椿の花を好んでいたことからつけられたんでしたよね?」
「うん。マルグリットさんは花の香りのアレルギーで、だから香りのない椿の花を好んだらしいよ。」
「……香りのない花……ですか。」

……そのとき何故か椿の返事にいつものような歯切れの良さが見られなかった。

「……どうかしたのかい、椿ちゃん?」
「……えっ!い、いえ!何でもないんです……。」

そう言ったきり、椿は口を閉ざしてしまったのであった。
まるで自分の言ったその言葉に押し込められたかのように。



夜空に舞う白銀は銀座に深々と降り注いでいる。
その舞散る雪は道を行き交う人々にとっては心暖かな雪であったであろう。
しかし今の椿にはその雪さえも凍てつく吹雪にさえなりえたのであった。
大神の少し後ろを歩く椿はため息と共に胸の内で呟きを吐していた。

(……香りのない……花……。)

香りのない花。
それは『椿姫の夕』の劇中に登場する椿の花を例えた言葉である。
椿はその言葉を自分にへと重ねてしまう。
香りとは花にとっての魅力そのものではないとかと。
あたしも大神さんにとっては劇中の椿の花のような存在でしかないのではないか?
そう思うと椿は自分の心が潰れてしまうのではないとかと感じてしまうぐらいに苦しくなる。
その感情は椿が大神を想う気持ちと同等の割合で存在していた。

「……大神さん?」

椿はその重い口をゆっくりと開いた。
しかしその言葉は帝都の静かな喧騒にかき消されてしまうほどに弱く小さい。

「……どうしたんだい?」
「……マルグリットさんは……どうして……どうして椿の花が好きだったんでしょうね……?」

聞かずにはおれなかった。
今の椿にはマルグリットが椿の花を好んだ理由がそれだけであって欲しくはなかった。
大神の口からその理由を聞きたかった。
大神の言葉で自分を安心させて欲しいと願っていた……。

「……マルグリットはきっと知っていたからだよ。」
「………………?」

椿は思わず伏せてしまった顔を上げ、大神の後ろ姿を見つめる。
振り返りもしないのに大神は殆ど椿と同じペースで歩いていた。
大神はふたたび言葉を紡ぐ。

「確かマルグリットが花の香りのアレルギーだから香りのない椿の花を好んだって劇中では扱われていたよね?」

椿は体をビクッと震わせる。
『香りのない椿の花』というフレーズが椿の心に突き刺さる。

「でもね、花の香りのアレルギーなら無理にでもと花を好きになる事なんてない。ただ香りがないからだけだなんて好きになる理由にはならないよ。」
「……なら!……どうして……。」

大神は歩を止め、ゆっくりと椿の方へと振り向いた。
椿の瞳に入ってきたのは……大神の微笑み。
おそらく椿にとって一生忘れる事はないであろうと、そう思えるぐらいの暖かな微笑みだった。

「マルグリットは知っていたんだよ、椿の花が内に秘めた本当の香りを……。」
「…………えっ…………?」
「花は香りだけが全てじゃないよ。人が花を見て心が安らぐとか元気が出てくるとか……そういった花の持つ内面の魅力に……その内なる香りに惹かれる面もあるんじゃないかな?きっとマルグリットは椿の花の内なる香りを知っていたからこそ好きになったんだと思うよ。」

首に巻かれていたマフラーを大神はほどき、それを椿の首にそっと巻く。
椿には毛糸のふんわりとした感触と今まで触れていた大神の肌のぬくもりが伝わった。
そして大神は再び前を向き、歩を進める。

「きっと人も同じじゃないかな?表面上だけじゃなく、内面の魅力に……例えばその人といて安心できるとか……そういった魅力に惹かれるんじゃないのかな……。椿ちゃんにだって、笑顔で人を元気づけられる……素晴らしい内なる香りがあるじゃないか……。」
「大神さん……。」

椿がその言葉に少し瞳を潤ませながら大神の名を呟いた。
そのとき大神がある建物の前で立ち止まる。
そこは大神がいつも米田の酒を買いに来ている酒屋であった。

「……それじゃ椿ちゃん、気をつけて。」
「……はい、大神さん。」

椿にそう告げると大神は体に積もった雪を手で叩き落としながら酒屋の扉を開けて中へと入っていった。
椿は店の中の明るい光に入っていく大神の背中を見つめてながら感謝の言葉を紡ぎだした。

「ありがとうございます……大神さん……。」

椿は首に巻かれた大神のマフラーの余った部分を手で頬に寄せながら瞳を閉じる。
改めてそのぬくもりを感じるのであった……。





………………………………………………………………………………………………………………、





内なる香り……自分に内在する魅力。
あたしはもっと自分に自信を持とうと思いました。
大神さんはあたしの中の魅力を見つけてくれていたんだから……。
もし大神さんとまた会えたのなら……この想いを……伝えたい……。
……あたしも……マルグリットの椿の花のようになりたいな……。
大神さんの……椿の花に……。

「あっ……。」

あたしがふとロビーの窓から外を見上げるとあたりはもう真っ暗になり、ちらほらと粉のような雪が降り落ちていました。
まるで去年と同じように……。

「……メリークリスマス……か……。」

子供っぽいと思われるかもしれないけど、今年はサンタさんがプレゼントを届けてきてくれるような気がします。
それは去年の事を思い出させてくれた同じように真っ白な椿の花と粉雪が思わせてくれたのかもしれません……。





プルルルル……プルルルルル……



そのとき、椿の持たされていたキネマトロンが鳴り響いた……。



それはサンタクロースのプレゼント……。



椿の願いを叶えるためへの……。



ほんのささやかな誕生日のプレゼントなのかもしれない……。


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