子供のいる風景〜真宮寺のお化け屋敷〜(2)

思い出したように神隠しが起こる度、松明や懐中電灯をかざした村人たちに交じって、真宮寺家の当主の姿があった。
絶対に開けてはいけないよ、と言われた戸の隙間から、普段大人たちでも滅多に見ることがないという
頭一つ高いその影を遠く目にしながら、何故か甦ってくるもう一つの物語があった。


       *          *          *


 「真宮寺さまにはな、魔物が来るんじゃよ」
 薬草をむしる手を止めて、不意にじいさまが言った。


今ではすっかり丸くなってしまって、火鉢の前で舟を漕いでいるけれど、
その頃はまだかくしゃくとした、時には親父よりもおっかない雷じじいだった。
その彼がどうしたことか声をひそめて昔語りめいたことを口にしている。
微熱を出したことを理由に、兄から置いてきぼりをくらってしょんぼりしていたのはどこへやら、
たちまち興味を惹かれて身を乗り出した俺は、危うく縁側から転げ落ちそうになった。


 「魔物ってどんなヤツ? 二口女やおキツネ様の親戚みたいなもんなの?」
 隣のユキの長いおしゃべりを思い出し、子供心に身構えるものもあったことは内緒である。
 そんな俺の襟を掴んで引っ張り上げながら、じいさまは重々しく首を振った。

 「いいや、魔物というのはなあ、タケシ」

 それをこちらに寄越せ、と目で言われて新たなオトギリソウやゲンノショウコの山を押しやると、見様見真似で
 葉をむしるのを手伝う。それぞれの竹籠の上に薬草が積もっていくのを見るともなく眺めながら、じいさまの
 言葉を待った。

 「もっと情け容赦のないものじゃよ。何でも、一度会ってしまったが最後、魂を吸い取られてしまうんだと」
 「…そいつに食われちゃうってこと?」
 「そうなのかもしれんなあ。…じゃが、その人間はもう2度と輪廻の輪の中には戻れなんだ」
 「死んじゃうのに、どうして?」


食べられたり、病気になったりした生き物は、いのちを他に譲って一生を終える。
そして土に、水に、空に還り、巡り巡って再び新しいいのちとしてこの世に生まれてくる。
稲もスズメも、それからタケシ、お前もみんな同じなんじゃよ―――この話にしろ、子供相手に輪廻などという
言葉を使うことにしろ、今思えば、相当変わり者の祖父だったのだ。

 
 そんな彼の日頃の口癖とは明らかに反する内容に、少々戸惑いながら俺は尋ねた。

 「前に地獄の話はしたかの? タケシ。魔物に食われた魂は、そこに行ってしまうんじゃと。
  真っ黒な炎がごうごうと燃えさかる所じゃという。
  歩いても歩いても果てが無くてなあ、口に入るものなら空気ですらも食ってしまいたいと思うくらい
  腹を空かせて彷徨わなくてはならないんじゃと。周りには誰もおらん。
  そのまま10年、20年…。ずっとそのまま、じゃ。
  ・・・そうじゃ、自分がその魔物になってしまっているんじゃよ。
  そのことにすら、もう気付いちゃおらんのだろうなあ」
 「・・・は死なないの?」

 話に、そしてその時彼の顔に一瞬よぎった影に「魔物」と口に出すことがいけないような気がして
 思わず小さな声になった俺の頭を軽くぽんぽんとじいさまは叩くと、独り言のように呟いた。

 「真宮寺さまの所に集まってくるのは、救いを求めているのかもしれんな…」
 「仲間だから?」

 その途端、俺を通り越して、どこか遠くを見つめているようだったじいさまの目がきらりと光ったように見えた。

 「仲間? 誰がじゃ?」
 「だって、真宮寺さまはお化け屋敷だって、あっ…」

 他の誰にも、特にじいさまには言っちゃ駄目だぞ、と兄に脅されるように念押しされていたのを思いだし、
 慌てて口を覆ったが、もはや後の祭りだった。

 「ヒロシのヤツじゃな? まったく、あやつらと来た日には…」

 片眉を持ち上げて、じろりと俺をにらみつけながらひとしきりぶつぶつ言う。
 そしてやおら腰を上げると、思わず身を固くしている俺をぐいと立たせて、奥へと背中を押した。

「もうこの辺でお天道さまに当たるのも充分じゃろう。ばあさまに行って、薬湯をもらってくるんじゃな。
 ・・・それからな、タケシ。本当のことは、自分で確かめてみるもんじゃよ」

 いつの間にか一杯になった籠を抱え、初夏の日差しの眩しい中、
 じいさまの手は縁台の筵の上に葉っぱをせっせと広げていた。


灸をすえられた兄に、後日嫌というほど殴られたのは言うまでもない。
しかし、この夜俺の心を占めていたのは、来るべき報復への恐怖ではなかった。

出会ったら、自分もそうなってしまうという、魔物。
でも、それでは一番最初の魔物はどうして生まれたんだろう。
お腹を空かせて、怖れられながらずっと、ずっと、生きていく…?
そうしたら、魔物になる前のその人はどこに行ってしまうんだろう。

そして、その時のじいさまの表情が妙に気になった。
―――じいさまは、その魔物に会ったことがあるの…?―――

眠れなかったつもりだったのに、黒い炎で焼かれる夢に3度も叫び声を上げてしまい、
そのたびに母親と苦笑を浮かべたじいさまに揺り起されることになった。


         *          *            *


 「タケちゃん、俺らも行こう」
 「…うん」

 頷きながら、一つ決めたことがあった。
 
 あの時は、追いかける途中でじいさまに捕まり、野菜運びを手伝うことになってしまったのだけど。
 ひょうきんで、はしっこい一平。
 ついこの前まで、俺たちのすぐ隣にいた、よく回る口と真っ赤な頬を持つ友人の行方をつきとめよう、と。

    
それからもう、一つ季節をやり過ごしてしまった、ということには触れないでおいてもらいたい。
その後にひいてしまった風邪が、たちの悪いものだったらしく、なかなか治らなかったのもあるが、
それなりに苦労して、兄たちから真宮寺屋敷周辺の情報を聞き出していたのだ。
最初から、自分一人で確かめに行こうと思っていた。
それだけに心の準備というか…早い話が、やはり怖かったのである。

だから、あの時ほっとして腰が抜けたのだ、ということはさくらには一生の秘密だ。
言える筈がない。例の座敷わらしかと思ったんだ、などとは…。

そして、悔しさも感じていた。
…一平は、いなかった。わずかな手掛かりすらも、その時俺は見つけることが出来なかった。


      ***********************************

 
 「いっぺいちゃん…? ううん、ここにいるのは、さくらだけだよ」
 あ、タケシちゃんもいるよね、とくすくす笑う。
 さくらは、一平のことは全く知らないようだった。

 「あのねえ、さくら、お花の首飾り作るの」
 こちらの気持ちを知ってか知らずか、一変して重大な秘密を打ち明けるような、ひそひそ声を出す。
 思わず惹き込まれた俺は、内心がっくりした。

 「だれに?」
 「それは内緒」
 嬉しそうにちょっと上目遣いにこちらを見る。

 「ふ〜ん」
 なんだかちょっと面白くない。

 「だからね、材料のお花を…、あ、なくなっちゃった…」

 先刻転んだ時に飛び散った花びらのことだろう。
 周囲を見回して、立ち上がろうとしたさくらは、顔をしかめて再びぽてんと尻餅をついた。
 右足首の辺りを押さえて、泣き出しそうな顔をしている。

 「痛いの?」

 あの花びらを一体どうやって輪にするというのだろう、などと考え込んでいた俺は、彼女の表情に驚いて
 飛び起きた。そっと手をどけて、触ってみる。心なしか少し熱い。
 もしかすると、このあと腫れてくるかもしれない。

 「だいじょうぶ、骨は折れていないと思うよ。ちょっと痛むかもしれないけれど、2・3日もすれば…」

 イタチの仔の手当てをした時のことを思い出しながら、急いで俺は言った。
 さくらに泣かれるのではないかと気が気ではなかったのだ。
 しかし、そんな努力も空しく、べそかきは本降りになりそうな雲行きを見せつつあった。

 「お稽古が出来なくなっちゃう…」

 どうしたらいいんだろう。ある意味、神隠しや魔物よりも厄介な事態に直面していたのかもしれない。
 とにかくその時には、乏しい人生経験の中から打開策を見出そうと必死だった。
 じっとしていてね、とかなんとかさくらに言い置いて、日当たりの良い草むらを探す。
 目当ての物は、まだほんの小さな丈でしかなかったが、これならまあ、なんとかなるだろう。
 袂に放りこみ、大きめの石を二つ握って駆け戻る。
 不安と期待の入り混じった眼差しが俺を見上げていた。

 摘み取ったばかりの薬草を石ですりつぶし、鼻緒用にと母親が持たせてくれた継ぎ布に載せていく。

 「タケシちゃん、それ、なあに?」
 まじまじと俺の手元を見ていたさくらが、首をかしげた。
 「薬。これを貼っておけば、痛くなくなる筈だから…」
 蓬の葉には炎症を鎮める作用がある。即席の湿布薬だ。
 心の中で、この日二度目の感謝をじいさまに言っていた。


 「ねえ、花飾りって、あの花びらで作れるの?」
 ふと思い出して聞いてみる。

 「うん。母さまが教えてくれるの。ほんとはさくら、1人で作りたかったんだけれど…」
 「他の花じゃ駄目なの?」

 レンゲとかシロツメクサとかだったら、俺でもなんとかできるかな、と思ったのだ。

 「いいんだけれど、それ、咲いているお花?」
 「どういうこと」
 「摘まなくちゃいけないお花じゃ駄目なの。死んじゃうから。
  父さまが、咲いているお花は、そのまま見るからいいよって」
 「ふぅん」

 なんだか不思議なことを言うおじさんだ。
 さくらの話を聞きながら、魔物も、真宮寺家について聞いていた各種の逸話も、どんどん遠ざかって
 いくのを感じていた。でも、それでは一平は何処に行ってしまったんだろう?

 患部に布を当て、そっと縛る。見栄えは余り良いとは言えないが、この際仕方ないだろう。
 「ほら、出来たよ」
 顔を上げると、そこには満面の笑みがあった。


         *           *           *


  ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
  みわたすかぎり よめなにたんぽぽ
  いもとのすきな むらさきすみれ
  なのはぁなさいた やさしいちょうちょ
  ここのつこめや とおまでまねく 


その後、花びらを二人でもう一度集めたところまでで記憶が途切れている。
どうやら、さくらも俺も眠り込んでしまったらしいのだ。
なかなか帰って来ないさくらを心配してやって来た権爺さんにおぶわれて、家まで送り届けて
もらったのだ、とはじいさまから聞いた。


 「あいつも、相変わらずのようじゃな」
 懐かしむように、ぼそりとじいさまは言った。


余談であるが、以後、ほんの少しだけ、兄たちの俺をみる目が変わったように思う。
それから、座敷わらしと鬼の話は、ぱったりと語られなくなったことも付け加えておこう。


真宮寺屋敷の裏手の森の、そこだけぽかりと開けたようなひだまりでの出来事だった。



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