「何だよ、全然怪談になってねえじゃねえかよ、松本ぉ」 「からまないで下さいよ、先輩。酒入ってるんじゃないでしょうね?」 何年着続けているのか尋ねるのが怖いような、よれよれの白衣をひっかけた上級生が しなだれかかってくるのを、寸手の所でかわす。 「…おい、いつから怪談大会になったんだ? 我々はだな、我らが学び舎に新たに加わった松本タケシ君を歓迎し、医学を志すに至った、その 熱いパトスと、これからの抱負たるや如何を一言聞かんと・・・」 「ええと、それはですね…。まあ、おいおいということで…」 「何?! 貴様は、そのようないい加減な理由でここに居るというのか?!」 つい先刻まで、すぐ脇でごろ寝をしていた上級生がむくりと起きあがった。 将来は、きっと軍医にでもなるのだろう、筋骨隆々としたヤツだ。 あろうことか竹刀なんぞを持ち出している。 「…医者が怪我人を作っていいんでしょうか…?」 「これも、学問のうちだろう。後で診てやるから、安心するがいい」 上手い冗談のつもりでいるらしい。 「はあ、それは心強いと言うか…。でも、あんまり嬉しくないなあ」 ちらりと周りを伺うと、知らんふりを決め込む者、面白そうに見物に回っている者が殆どのようだった。 同室の奴が、ズタボロになったのは、どうやらこいつが原因だったんだな。 …いずれにしても、「理由」をこの場で語るつもりは全く無かった。 仕方ないか。 と思う間も無く、ぶんっ、と音を立てて竹刀が振り下ろされる。 速さも力もあるけれど、それだけだ。 「…研究は、それぞれ自分の身体で試してから、ってことにしましょうよ、先輩」 「何っ?」 すっと脇に身を翻すと、気合を込めて首筋を手刀でトンと叩く。 それで終わりだった。 どうっと音を立てて、前のめりに倒れた彼を避けようと右往左往する上級生たちに一礼すると、 さっさと退出させてもらうことにした。 ―――おじさん。約束の道は、なかなかにぎやかなようです…――― ******************************** 「タケシ君、君には、君にしか出来ないことが、あるんじゃないのかな?」 「えっ…?」 あれから、いくつ年を重ねた日のことだったか。 じいさまの一言に俺は家を飛び出した。 そんな筈がない。だって約束したじゃないか。 木偶の坊みたいに同じ台詞を頭の中でくり返しながら、冷静にそれを眺めている自分が 確かにいるのを感じていた。 …俺は、こんなことになるのをどこかで予期し、恐れていたのかもしれない。 まだ冷たさの残る春の小道をひたすらに走った。 真宮寺屋敷に続く一本道を途中から逸れて、森の中に入る。 もはやくぐれなくなってしまったトンネルの枝をかき分けると 七分咲きの桜の前に佇む彼女が、そこにいた。 「・・・さくら」 一度大きく息を吸い込んで、その後姿に声をかける。 いつもの目印、大きなリボンは今、彼女の頭をを飾ってはいない。簡単にまとめられただけの黒髪が 寒そうに揺れた。 「…考えてたの。もう、お父様のために何かしてあげることって出来ないんだなあって。 お話することも、剣を教えてもらうことも…」 さくらは振り返りはしなかった。桜の方を向いたまま、静かに言葉を紡ぐ。 些細なことにも、素直に良く笑い、泣く。喜怒哀楽が激しく、くるくると表情を変えるさくらを見慣れていた だけに、それは意外だったし、余計に痛々しさを感じさせられるものでもあった。 「……………………」 何と言ったらいいのだろう。 彼女に掛けるべき言葉の見つからない自分自身に軽い苛立ちを覚えながらも、それでいいのかもしれない、と思った。 どんな言葉も、口に出した瞬間、他人事になってしまうような感じがした。 ただ、今は、さくらと同じ場所、時間を共有することだけが俺に出来ることなのだろう。 彼女の想いとまったく同じではあり得ないが、あの人は、俺にとっても大切な、大切な人だったから…。 俺はしゃがみ込んだ。音無く舞い落ちてくる花びらを一枚、また一枚とてのひらに収めていく。 雪を連想させるその白さに、帝都から戻って来た彼女の父親に再会できた日のことを思い起していた。 時が経っても、病床にあっても、彼は優しく、大きかった。幼い日に感じた、全てを受容してくれるような 暖かさも、そのままだった。ただ、生命の輝きだけが……。 俺には、何もすることが出来なかった。 さくらには見えていたのだろうか。 ふと見上げた背中に、ひたすら明るく、一生懸命に看病していた彼女の姿が重なった。 …いや、俺は、約束したんだ。あの時も、そしてそのずっと前にも。 両手いっぱいに溜まった花びらを、俯くさくらにそっと差し出す。 「タケシくん…?」 「俺から、っておじさんに持って行ってくれよ。…ほら、摘んだ花じゃ駄目なんだろ?」 くすっ、と小さな肩が揺れて、彼女の横顔が見えた。 「そうね、お父様に言われてしまうもの。そのまま見るから…いい……っ……」 幾筋もの涙の跡を、新たな雫が伝っていく。 声無くさくらは、泣いていた。 「お父様は、幸せだったのかしら?」 どのくらいたったのだろう。ぽつりとさくらがつぶやいた。 「運命だって言われて、それを受け入れて。お父様は、それを嫌だとは思わなかったのかしら…?」 続ける声が激しさを帯びた。 「でも、あたしは、そんなつもりで剣を握っていたんじゃない。 運命なんか、知らない。お父様の傍にいたかった、それだけだったのに…」 傍らに放り出されていた、木刀の刃にすっと指を滑らせている。 さくらと一緒に稽古をつけて欲しいと頼んだ俺にも、彼は同じものを作ってくれたんだっけ。 色々な場面のあの人の姿を思い浮かべ、ゆっくりと俺は口を開いた。 「不幸せ、ではなかったと思うよ」 「…どうして?」 大きな瞳が食い入るように俺を見つめた。 「最期に会った時、おじさん、微笑ってたもの。・・・上手く言えないんだけれど、あれは本物だったと思うんだ」 「……………………」 「運命っていうのも…」 少し言いよどむ。勿論、そのものずばりという話を聞くことはなかったが、うっすらと察するものは、 この数年間に沢山積み重ねられていた。 じいさまたち、村の大人が「真宮寺さま」と呼び続ける理由。 今も時折おこる神隠し。 この屋敷にやって来るという魔物たち。 …見つけ出して、連れ帰ることの出来なかった、一平。 幼い俺が、怯えと共に感じた疑問は、遠ざかったままでいてはくれなかったのだから。 そう、来るべきものは、やって来るんだ…。 「運命っていうのは…、これは俺にも分からない。でもさ、少なくとも、思うんだ。 おじさんは、運命だからって、死ぬことを当たり前だなんて思ってはいなかったって」 ふるふるとかぶりを振るさくら。 「そう思えない? おじさんは、誰よりもいのちを大切にする人だったろう?」 彼女の膝に山になっている花びらが目に入った。 「剣を振るいながら、誰よりも、振るったその相手を思う人だっただろう? そういう人が、自分のいのちを粗末に思っていたなんてことはないと思うんだ」 「……………………」 「俺は、おじさんに話を聞けた訳じゃないから、本当のことは分からない。 だけどさくらには、おじさんが残していってくれた手掛かりがあるだろ? 悔しいけど、俺には出来ない。 剣では、おじさんを追いかけることは出来ない。 でも、さくらなら。おじさんの、本当のことに追いつける筈だ」 ふと桜の木を見上げる。白い花をいっぱいに付けた枝、その霞の向こうにくっきりと広がる青い空。 その時、ふわりと風が通り過ぎていった。 (終わり) |