陸軍省の前で米田長官が撃たれた翌日。 月組隊員である俺にとある指令が下された。 指令の内容は、大帝国劇場に赴きそこに居るある人物に接触する事。 そして・・・・・・・ 「いらっしゃいませっ!!」 大帝国劇場の売店に立ち寄った俺を、何時ものように明るい声が出迎える。 「やぁ、椿ちゃん。今日も元気だね。」 「はい!!」 帽子の鍔を押さえて挨拶した俺に、にっこり、とでも形容したくなる満面の笑みを返す椿。まるで春の陽射しのような明るく暖かい笑顔に惹かれ、毎日のように帝劇を訪れる者も多い。 だが、俺は知っている。 今日の笑みは何時ものそれとは全く異なる物だと言う事を。 (ずいぶん無理してるみたいだな・・・・・・。) 普段と変わらぬその姿に痛々しいものを感じ、俺の心にさざなみのような感傷が走る。だが、それを表に出す事は決してない。今ここに居る俺は『私立探偵高津敬一』であって、『月組隊員十六夜 誠』ではないからだ。そして、その事は同じ月組の隊員以外、誰にも知られてはならない。 例えそれが帝国華撃団の同志であっても・・・だ。 「そう言えば事務所に新しい人が来たんだって?」 何気ない風を装って話題を振ってみる。 「えっと、サキさんの事ですか? 違いますよ、あの人は支配人・・・の秘書さんです。」 「へぇ、そうなんだ。 ・・・・・・・・・・・・・美人?」 「さあ?どうかしら。」 『支配人』の所で一瞬生まれた動揺に気づかぬ振りをし、軽くおどけて見せた俺に、背後から聞き慣れない声が掛けられる。 「えっ・・・・・!?」 振り向いた俺の直ぐ目の前にその女は居た。 俳優は元より、事務所の職員、売店の売り子に至るまで、東西の選り優りの美女・美少女が揃っていると評される帝劇にあって、その女の醸し出す雰囲気は他に類を見ないものだった。 『清楚』『可憐』『気品溢れる』『活発な』と言った陽性の魅力を発散する他の女性達に比べ、その女から伝わってくるのは余りにもあからさまな『女』の色香。 こいつが今回の指令で接触を命じられた人物だ。 「ウフフ・・・私が影山・サ・キ・・・。」 たっぷりと媚びを含んだ甘い声が俺に投げ掛けられると、俺の頬にさっと血が昇る。目を丸くし、大きく口を開いたその姿は、サキの色気に完全に参ったように見えた・・・筈だ。 「あっ、あの。」 帽子を取りながら懐から名刺を取り出そうとして、床にバラ蒔いてしまった・・・ように見せる。 慌てて床に這いつくばり名刺を集める俺の目の前に、サキの膝が降りてくる。ちょっと視線をずらせば、短いスカートの奥まで見えてしまいそうな微妙な位置から、つ・・・と手を延ばし名刺を一枚つまみ上げる。 「高津・・・敬一さん? ふうん・・・探偵さんなのネ。」 「はっ・・・はいっ!!」 (女狐め・・・・・・・・!!) 艶やかに微笑み俺を見下ろす瞳。 端眼にはそれに魅了された風を装いながら、素の顔を垣間見せてやる。 闇に生きる者の素顔を。 「は・・・ははは・・・・・・・・っ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」 締まりのない笑いを浮かべる俺を、サキが無言で見つめる。 さっきの表情が何を意味するのか気づいたのだろう、ほんの一瞬、視線からそれまでの甘さが消えた。 そこにあったのは凍てついた刃のような気配。 一秒にも満たない刹那の視線の交錯が、俺に時が止まったような錯覚を起こさせる。 ボーーーーーーンボーーーーーーンボーーーーーーンボーーーーーーンボーーーー・・・・・・・・・・ 突然鳴り響いた時計の音に、俺とサキ、二人の身体がびくりと跳ね上がる。 「あの・・・・お昼の時報ですけど・・・。」 おずおずと掛けられた椿の声が、俺達の緊張を解いた。 「ああっ!!早くしないとランチセットが売り切れちまうっ!! 椿ちゃん!!サキさん!!また今度っ!!」 「えっ?あ、はい・・・・・・!!」 「またネ、高津・・・・さん。」 ばたばたと大きな足音を響かせながら、俺は食堂へと駆け出した。そのままの勢いでテーブルの一つに飛び込み、ウェイターが来るのも待たずに注文を告げる。 この場所に似合わぬ不粋な行動に、周囲から非難の視線が集まるが・・・直ぐに逸らされる。 (やれやれ・・・三枚目も楽じゃないな。) 『修行が足りんぞ、十六夜ぃ。』そんな隊長の声が聞こえたような気がするが、とりあえずそれはいい。 何気ない風を装って食堂の廊下側を見てみると、窓の向こうに黒服の女の姿・・・。 (どうやらうまく行ったようだな。) 今回の俺の任務は、米田長官狙撃事件の容疑者である影山サキに、俺と言う存在を印象付ける事。 あの女が犯人だと言う証拠はないが、帝撃着任当初から続けている身元調査によって、経歴の幾つかが偽造と分かったとあっては、疑わざるを得ない。 俺をおとりにし、サキの注意をこちらに引き付けたその間に、別な者達が調査を進める。 そう言う事らしいのだが・・・・・・。 (掛かった獲物は大きそうだな・・。) それなりに死線を潜った俺の身をも硬直させる冷たい視線。 それを思い出し、全身に秘かな戦慄と・・・興奮が走る。 あの女が犯人だと言う証拠は無い。 だが、俺が見たあの瞳が、その奥の刃が、俺に確信を抱かせる。 (偽の名、偽の経歴、そんなもので俺達を誤魔化せると思ったら大間違いだぞ。 近い内に必ず尻尾を捕まえてやる・・・・・。) 沸き上がる闘志を胸にそう思った時、俺はふっと虚脱感に捕らわれた。 「・・・・・・・俺も同じ・・・か。」 名を偽り、経歴を詐称し、帝劇の人々を欺く今の仕事。 それは帝劇を影から守る為に必要な役目だと分かってはいるが、彼女達の信頼を裏切っている事に変わりはない。 己の心に開いた深い虚無に言葉を失った俺の前に、今日のランチセットが運ばれる。 旬の素材をふんだんに使用した豪勢なメニュー。 本来なら美味である筈のそれは、今の俺にはとてつもなく苦い代物だった。 (すみれさん・・・・・早く帰って来て下さい。) 記憶の中に甦る、光り輝く舞台に立つ彼女の姿。 その輝きだけが俺を支える最後の拠り所だった。 ・・・・・・その後。 俺達二人のやり取りを椿から聞いた由里によって、『高津とサキ。運命の出会い!!』などと言う噂が飛び交うのだが・・・。 それはまた別の話である。 (完) |