3. 「ハァッ・・・ハァッ・・・。」 俺の荒い呼吸が森の静寂を掻き乱す。 本来この森の主である動物達は、俺達の放つ殺気に脅え沈黙を保っている。 いや・・・『俺達』ではない。 奴・・・鬼王の殺気に・・・だ。 「若造、犬にしてはなかなかやるな。」 不意に、愉しげな響きを含んだ声がかけられる。 ・・・・・冗談じゃない。 大木に背を預けて立つ俺の全身は、大小無数の傷で覆われていると言うのに、奴には毛ほどの傷も負っていない。 不利は承知の戦いだったが、これほどの実力差があるとは思わなかった。 致命傷こそないものの、既に手持ちの武器は使い果たし、最後に残った短刀も幾度となく触れた奴の刃によってボロボロに刃こぼれし、もはや大根すら切れそうもない。 何より全身の傷から流れる血が、徐々に体力を削り取っていく。 生き延びるにしろ、死ぬにしろ、俺に残された機会はあと一度・・・と言ったところか。 (考えろ!!何か・・何かあるはずだ!!) 逆転の策を求めて、俺の頭は目まぐるしく回転する。 だが、ゆっくり考え事をする暇を与えてくれる程、甘い相手ではない。 「吻ッ!!」 気合いと共に手近な影を貫いた奴の刃が、俺の斜め後ろから切っ先を覗かせる。 「ぬうっ!?」 ギャギッ!! とっさに振るった短刀のお蔭で、新たな傷こそ無かったものの、さらに刃こぼれしたそれは、これ以上なんの役にも立ちそうもない。 (・・・・・ここまでか。) 心を絶望の触手に絡め取られそうになったその時、一つの奇策が閃いた。 (余りにも危険だ・・・。だが、やってみる価値はある!!) 斬ッ!! 「があっ!?」 微かに差し込む希望の光。 それに気を取られ生じた一瞬の隙を突かれ、俺は右足を切り裂かれてしまう。 幸い傷は深くない。 だが衝撃でその場に転倒した。 しかも、さらに悪い事に短刀を手から投げ出してしまった。 カラン・・・・ 乾いた音を立てて転がる短刀を見つめる俺の目が、自分でも信じられない位大きく見開かれる。 「・・・・・・・・・・・・・・う。 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 それまでの人生で積み立ててきた、『自分』の全てを投げ捨てるような恐怖と絶望に満ちた叫びが、俺の口から迸る。 動きの鈍った手足で必死に地面を掻き、少しでもその場から遠ざかろうと足掻く。 「・・・・・・・・・無様なっ!!」 奴は俺のその姿にしばらく呆然としていたが、我に返ると隠し様もない怒気に満ちた声を放った。 「多少は骨のある輩だと思ったが・・・。 とんだ見込み違いだったわっ!!」 「頼む・・・い、命だけは!!」 なんとか半身を起こし奴と向かい合ったものの、恐怖に脅え姿を直視できない。 右の手の平で己の視界を覆い、左の手は相手を押し止めようとするかの様に前に突き出している。 誇りの欠片もないその姿が、奴の怒りをさらに掻き立てた。 「問答無用!!犬は犬らしく、這いつくばったまま死ぬがいい!!」 吐き捨てるように言うと、ゆっくりと俺に近づいてくる。 「ひぃっ!!・・・・・く、来るなぁっ!!」 あと8メートル・・・・・。 「・・・・見苦しい。」 あと6メートル・・・。 「それ以上近づくと・・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・。」 4メートル・・・。 「火傷するぜぇッ!!」 「・・・なにっ!?」 ボンッ!! 既に危険な距離まで近づいた奴の目の前に、突然、小型の太陽が出現する!! 俺の左袖から打ち出されたそれは、通称『三式信号弾』。隊員間の連絡によく使われるありふれた品だ。 だが、その効果は絶大だった。 「ぬぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!? 目がっ・・・目がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 マグネシウムを主成分とする信号弾の閃光が、俺達の周囲から影を、闇を、駆逐する!! 右手で目を庇っていた俺でさえ、強烈な光に視界が霞む。それを直視した奴の目は、当分使いものにならないはずだ。 そして、今この場所には、奴が利用できる影もない!! 好機!! 勘だけで振るわれた奴の刃をかい潜ると、地面に転がった短刀に飛びつき、間髪入れず投げつける。 「くっ!!甘いわっ!!」 キィンッ!! 流石は達人。 視力を失っても耳で飛来する短刀を察知し、とっさに刃を振るって弾き飛ばす。 だが、その動きはそれまでの何倍も大きな物だった。 今だッ!! ようやくもぎ取った僅かなチャンスを生かすべく、俺はバネ仕掛のように勢い良く立ち上がると、そのまま光を裂いて突っ走った。 奴を目指して!! 「馬鹿めがっ!!」 ザッ!! 横殴りの一旋が俺の右脇をえぐる。 しかし・・・浅い!! 既に奴の懐深く入り込んだ俺の身体に当たったのは、剣の鍔元。しかも、奴の姿勢は大きく崩れている。 いかな達人、いかな名刀と言えども、それでは今の俺を止めることは出来ない!! 「うぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 全ての装備を使い果たした俺に残されたのは、この身体と命のみ。 身体に残った全ての力を右の拳に込め、雄叫びと共に奴の顔面めがけ叩き込んだ!! ゴッ!! 「ぐはぁっ!?」 苦鳴と共に大きく吹き飛ぶ奴の身体。 いけるっ!! ・・・本来なら、俺はここで退くべきだったのだろう。 だが・・・ (ここで奴を倒すことが出来れば・・・・。 花組が・・・あの人が楽に戦えるっ!!) その想いが・・・俺の判断を狂わせた。 「鬼王ッ!!覚悟ッ!!」 目前の勝利に酔い、不用意に間合いを詰める俺に、光刀無形の切っ先が向けられた。 「放魔星辰ッ!!」 轟ッ!! 妖刀から放たれた陰気の塊が、俺の身体を貫き跳ね飛ばす!! ドザッ!! ・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・身体が・・・動か・・・ない。 下草の中に倒れ伏した俺の身体には、指一本動かす力も残っていない。 いつの間にか信号弾の輝きも消え去り、それまでより更に深い闇が帰ってきていた。 ザッザッザッ・・・・・・ 深い静寂の中、奴の足音だけが響く。 どうやらここ迄のようだ・・・。 ふと気が付くと、投げ出した左腕の先にさっき見た紫の花が揺れている。 (すみれさん・・・・すみません・・・。) 意識が暗闇に呑まれる寸前、微かにあの人の姿が見えた・・・。 その顔には見たこともない哀しい表情が浮かんでいた・・・。 4. 「あらぁ。高津さんどうしたの?傷だらけになって。」 「いやぁ・・・。迷子の猫探してたら、引っ掻かれちゃって。」 「あらあら、探偵さんも大変ね。 でも・・・高津さんって、意外とドジなのねぇ。」 「あ・・・あははははははは。」 「もう由里ったら。駄目でしょ、失礼なこと言っちゃ。 はい、高津さん。次の公演の前売りです。」 「あ、すいません。かすみさん。」 あれから三日。 結局・・・俺は生き延びることが出来た。 あの時の信号弾の輝きは、帝都の街中からもよく見えたらしい。 隊長を含む月組の仲間達が駆けつけた時、そこに居たのは傷だらけで倒れた俺一人で、鬼王の姿は既にどこにもなかったそうだ。 幸い・・・と言うべきか。 すぐに意識を取り戻した俺は傷の手当もそこそこに、黒鬼会のアジトと思しき場所へ隊長達を案内したのだが・・・。 そこにあった筈の土蔵は見る陰もなく破壊され、その後の懸命の捜索にも関わらず、入り口を発見することは遂に出来なかった。 『古人曰く「千里の道も一歩から」。 その一歩がどんなに小さな物であっても、歩き続けていればいつか必ず目的地に辿り着く。 十六夜、お前は良くやった。気を落とすんじゃない。』 隊長はそう言ってくれたが・・・失敗は失敗だ。 とりあえず一週間の休暇を与えられた俺は、花組の次回公演の前売りを手に入れる為、銀座・大帝国劇場にやって来た。 「それじゃ、かすみさん。由里くん。また今度。」 「はい。ぜひ、またいらして下さいね。」 「じゃあね、高津さん。 今度は猫に引っ掻かれちゃダメよ。」 猫・・・か。 来賓用玄関に掲げられた、次回公演のポスターを見ながら、俺は残された謎について考えていた。 (何故あの時・・・奴は俺に止めを刺さなかったんだ?) その謎を解く鍵は、俺の手の中にある。 表面を白く塗った木の欠片・・・。 どうやらあの時死にもの狂いで放った一撃が、奴の面に傷を付けていたらしい。 ・・・だが、それにしても。 (面に何か秘密があるのか?それとも他に何か・・・。) その理由を知る事は、今の俺には叶わない望みだった。 「あら?・・・あなた確か。」 自分の考えに沈み込んだ俺に、突然声が掛けられた。 その瞬間、俺の心は暖かなもので満たされる。 振り向くとそこには、穏やかな微笑みを浮かべた彼女の姿・・・。 「やあ・・・。ご機嫌如何ですか?」 彼女の姿は影である俺には眩しすぎる。 だがその微笑みを守るためなら、俺は如何なる死地にでも喜んで飛び込むだろう。 何故なら・・・・・・ 月は陽の光を受けて輝くものだからだ。 (完) |